絵 画   富 川 信 介





音楽家頌




ヴォルフガング・サヴァリッシュ
サヴァリッシュ(1923-2013) は東京オリンピックの年(昭和39年)に初来日し、圧倒的な存在感を日本中に知らしめた。
来日当時はヨーロッパ随一の若手指揮者と評価も高く、功なり名遂げた指揮者ならともかく、最も多忙な時期に、定期演奏会を振りに日本に来るのかしら、と思ったものである。
その後40年(1964-2004) 300回以上に及ぶ演奏会を開催する親日家になるとは思わなかった。
普通の指揮者が来日して演奏会をこなすと、そのまま帰ってしまうのに対し、彼は、団員と室内楽も楽しみ、日本では演奏不能と思われていた大曲も初演した。
初来日から50年後(平成25年)に彼は鬼籍に入ったが、奇しくもその年に、2回目の東京オリンピック開催が決まった。
彼は風貌が真面目すぎるので、少し損をしている。 メガネを外して帽子をかぶれば、映画俳優と言っても通る、いい男だった。
絵は41才、彼が初めて来日した時の空港でのスナップである。












レナード・バーンスタイン
バーンスタイン(1918-1990)は、言う迄もなくカラヤンと東西の人気を二分した大指揮者である。
彼は音楽教育にも熱心に取り組んだ。 なかんずく、パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)は、初めてアジアの才能に目を向けた画期的な企画だった。彼は初夏の札幌に拠点を置き、最晩年にその活動を開始した。
残念ながら、来日中体調を崩し、第一回を振っただけで帰国、その年に生涯を閉じた。
しかしPMFは、エッシェンバッハ、ゲルギーエフを初めとして、その活動に賛同した一流の演奏家に引き継がれ、今でも積極的に活動している。 絵は1990年の来日時にPMFオーケストラを振った最初で最後の一齣である。












ロブロ・フォン・マタチッチ
マタチッチ(1899-1985)は、1965年スラブ歌劇団を率いて来日したクロアチアの指揮者である。
それまで殆ど知られていなかったが、その豪放な演奏でNHK交響楽団を震え上がらせた(と聞く)。 以後、N響との協演は90回以上に及び、それまでマイナーだったブルックナーを、演奏会のメインプログラムにひき上げた。 彼の団十郎のようなその目で「良くやった!」と微笑まれたら、演奏者は嬉しくて天国に昇ってしまう。
エピソードにはこと欠かないが、ゲリラ活動で捕えられた彼が、死刑執行直前に偶々ピアノを演奏する機会を与えられ、執行者が「こんな芸術家を殺すのは惜しい」と上部に嘆願して、九死に一生を得たという話しもある。
また、1968年チェコ事件が起きた時、来日中の彼は、演奏曲目を「我が祖国」に変更し抗議の姿勢を示した激しい人で、私が最も好きな指揮者である。












吉田 秀和
吉田秀和(1913-2012)は、この中で唯一の日本人であり、また、指揮者ではなく、教育者兼評論家である。 歯に衣を着せない音楽批評は、ホロビッツの骨董品発言でつとに有名だが、常に真剣で先見性があった。
彼がNHKFMで担当した音楽番組「名曲のたのしみ」は1971年開始以来40年余続き、終了した後も特別番組として、再三放送されている。
批評態度も、楽譜部分を引用しポイントを明確に示したうえで、その論点を真正面から取り上げる、私たち門外漢から見ても爽やかだった。
ここで必ずしも似顔絵を描く気はないが、彼については、モップのようなヘアスタイルを描けば、大多数の人は顔も見ずに納得してしまう。














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作成 2014.09.19 長尾